toogee's blog ー自分勝手なお悩み解決ー
お題「コロナに慣れたって何?」
ニュースを見ていると。。
街中を楽しそうに歩く人、忙しなく歩く人、東京の映像を見て、コロナの緊急事態宣言中とは思えないほどに人で溢れています。
インタビューに答えている人は揃って、
「たくさん人が出ていて、こわいですねぇ。
コロナに慣れてきてるんですかねぇ。
気を付けますぅ。」
みたいな回答ばっかり。
たぶん、ニュースを見ている人は、みんな「こいつらバカだな」と思っている人が多いと思います。
そういうふうにしか映ってませんから。
そんな映像を流した後に、医療現場のひっ迫した様子を見たら、仕方ありません。
私も街中を歩く人の考えが理解できないほうの意見に賛成なので。
これで、感染拡大が止まると考えるほうがどうかしてますね。
2020年の春くらいに徹底して人が出なかった状況でもゼロにはできなかったのに、今くらい人が動いている状況では改善しないのは当たり前です。
個人的には長期決戦で考えるから、解決の糸口が見つからないのかなと考えます。
お金を個人単位で配る。
ロックダウンに近いくらいの対応を取る。
病院・医療関係と食料・生活用品以外の買い物を認めない。
2週間後に通常に戻す。
これを繰り返すとロックダウンの過ごし方にも慣れ、ロックダウン以外の時間は、通常通りの生活と商売ができるようにすることで、ストレスの発散にもつながらないですかね?
可動できる時間と非可動時間を日常的に入れ込むことで、コロナ生活に対応できる環境作りができるのではないでしょうか。
海外からの入国者に対しても、ロックダウン前のタイミングで入国してもらえば、日本の中での過ごし方を強制的に実行しなければならない状況が出来上がると思います。
日本人をコントロールできない政府が、海外の方にあーしろ、こーしろと言ってもどうしようもできないでしょうから、システムから変えることで、わざわざお願いしなくても半強制的に行動をコントロールできるようになります。
短期と長期を組み合わせた対策ですね。つまり。
専門家の意見を聞くのも大事ですけど、どの立場の人間でも、大抵の方は、自分や自分に関わるところを優先します。
でも、全体を動かす場合には、全体のバランスを考えないとうまく機能しません。
どこかが欠けると、歯車が狂い、別のところに負担がかかります。
つまり、最初の歯車が狂うことが、様々な要因と連鎖して、誰にも止められない状況を生み出すことになってしまいます。
死者や重症になる方を救いたい、医療関係者の負担を減らしたいと考えると直接的に何か対策を取りたくなると思いますが、敢えて違う方向からアプローチすることが面白い結果につながるのではないでしょうか。
例えば、医療・病院は、生活に必要なこと全てが関わります。
衣食住、情報、お金とまさしく全てです。
医療関係者やコロナ継承者など、近隣のホテル、宿が無料で利用できるようにするだけで、宿が埋まります。
人がいると、食べるものが必要なので、ホテル、宿だけではなく、周りの飲食業から無償で提供してもらいます。
この連鎖で産みたいものは、医療従事者を守るために、医療従事者が医療以外に神経を使わなくてもいい環境を作ることです。
医療従事者の方が病院を出て、周りのホテルや宿に自由に出入りできるだけで、少しでも休める時間を長く提供できると思います。
食べるものもありきたりな弁当ではなく、自分で手軽に選べるだけの環境にあれば、気分転換にもなるでしょう。
医療従事者が安心・安定して過ごせる環境が医療の質を落とさないことにつながるでしょうし、質の高い医療の提供は、より多くの方を治療できる基礎になると思います。
無料提供と言いましたが、お金は、国から出してもらいます。
gotoキャンペーンに掛けるお金の全てを無料提供分に当てます。
基本的に我慢を優先させる政策になるので、自由に過ごせる時間があれば、我慢している分、一般の方はお金を使うと思います。
一般の方が使ったお金は税金に直結しますから、お金はまわせるんじゃないですかね。
企業、お店側も人が動くときに営業できれば、利益も出せるので、思ったよりも経済を活性化できるのではないでしょうか。
今回のコロナでは、まじめに取り組む人ほど、バカをみる結果になることが少なくないことがよくよく理解できます。
どんなに真剣に取り組んでも、自分勝手に好き放題した人がそれぞれの生活圏内に侵入した時点でリスクをばら撒く結果にしかなりません。
どんなに対策をしているところでも、感染を完全には防げない状況が出来上がります。
我慢しろというだけのやり方が通用しないとわかっているだろうに、それ以上の行動を示さない政府は、他に目的でもあるんですかね。
今の時代、これからの時代、ただただ世の中の流れに身を任せるのは、とても怖いように感じます。
自分と自分にとって大事な人たちを守るためにも、正しいことが何なのか、いろんなものを疑いながら、正しい理解とまわりに迷惑をかけない柔軟性を持つことが必要になる感じます。